友だちの相談に乗るときのために―『精神科医の話の聴き方 10 のセオリー』

誰かの心に寄り添い、その人のことを人生単位で(相手と自分の人生を通じて)救うことができるとする。何人に対してそういうことができるだろうか。高々一人だと私は思う。

一方で、困っている友だちが目の前にいるとき、その友だちと向き合ったり話を聴いたりしたいということもある。彼(女)をフルに救うことはできない。こういうときには一定の距離を持った寄り添い方が必要になる。相手に対して冷淡でもなければ、過度に肩入れをするのでもない相談の仕方が必要になる。私はこの中庸な距離感を作るのが苦手で、どうしたものかと思っており、下掲書を読んでみた。

精神科医の話の聴き方 10のセオリー

精神科医の話の聴き方 10のセオリー

余談だが、精神科医になろうと思っていた時期がある。当時友だちにそのことを話したら「えすえふは患者に肩入れしすぎてしまいそう」と言われた。彼の言ったことは当たっていて、今日私は、自分へのまさにそうした危惧からこの本を手にとったことになる。

上掲書は、「これを守ればカウンセリングが上手になる 10 箇条!」をキリッと大上段から示すという体裁ではなく、また何か理論的体系的な趣があるわけでもなく、著者が日々の診療で心がけていることがエッセイ風にいささか断片的に綴られたものである。その中から、適度な距離感で友だちに寄り添う助けになることとして私が受け取ったことをまとめる。

陽性転移と逆転移

患者が精神科医に対して好ましい感情(陽性感情と言う)を持つことは少なからず存在する。その場合、患者が精神科医に対して、自分の重要な人物、例えば恋人や家族を投影していることが多い。自分が恋人や家族に対して満たされない思いを有しており、その思いの行き先が、自分のことをそのまま受け入れてくれる精神科医に向かうというケースだ。例えば「自分の悩みをもっと受け止めてほしい」という思いを持っている際、その行き先が精神科医に向かい、精神科医に好意をもつことになるというのは自然に思える。こうした現象を陽性転移と言う。また、患者の陽性転移を受け、逆に精神科医が患者に対して陽性感情を持つことを、逆転移と呼ぶ。

但し書きをつけると、ここで陽性感情というのは必ずしも恋愛感情に限ったものではない。というかそれと混同されるべきではないはずだ。陽性感情とは、その人のために心の大きなリソースを割き、その人に心を動かされるという事態を指すのだと思う。ともあれ、友だちに寄り添うときに適切な距離感を保つためには、友だちの状態が良好になるようにしつつも、心のリソースを過度に割く陽性転移や逆転移を避けることが必要だ。精神科医の場合、口調がですます調であったり診療がお仕事である一方、友人とのやり取りはより砕けた親密なものなので、このリスクは大きいとさえ言えるかもしれない。では、どうすれば陽性転移や逆転移を避けられるのか?  2 つある。

1. 陽性転移が何の象徴かを考える

まず注意として、陽性転移自体は相手と自分の信頼関係(ラポール、rapport)の源泉になるので、決して悪玉ではない。したがって、課題は、陽性転移が過剰になり収集がつかなくなるのを防いだり、逆転移を防ぐということになる。 1 つの解決策は、相手に陽性転移があった場合に、それがどういうメカニズムで生じているのかに注意を向けることだ。プレゼントを贈られた時に手放しで喜ぶのではなく、その意図を考えることがあるだろう。それと同様に、陽性転移を向けられた時に、それが何を意味しているのか、それが何を象徴しているのかを考える。好意それ自体ではなく、誰に対するどのような好意の転移なのか、なぜそうした転移が生じたのかを考える。言わば、陽性転移を相手の欲求の鏡として(欲求そのものとしてではなく)捉えることが有用だ。そして、自分が友だちよりも一段俯瞰的な立場から陽性転移の背後にあるものを見て取ることで、友だちの心理をより理解したり、それを伝えて友だちの自己理解を促進することができるだろう。

2. 同調なしの承認

話を聞く時には相手の言葉に耳を傾け、相手の気持ちに共感せよ、とよく言われる。しかし、だからと言って相手の気持ちに完全になりきるのは問題だ。相手が悲しい時には自分がそれと同様に悲しく、相手にいいことがあれば自分も同様に喜ぶというような共振を行っていると、陽性転移や逆転移を呼び込みやすいし、また問題を俯瞰的に見て解決することが難しくなる。なすべき共感とは、相手の気持ちに自分が付き従うことではなく、相手の現状を認めつつも自分の現状も揺るがさずに認めたままでいるということだ。標語的に言えば、"I'm OK, You're OK"であることが重要だ。その意味で、そもそも「相手に寄り添う」という表現は不適なのかもしれない。寄り添うのではなく、相手のことも自分のことも承認し、対峙することが重要なのだ。「あなたが残念な状況にいる話を聴いていると、私も残念な気持ちになる」のではなく、あくまでも「あなたが残念な状況にいる話を聴いていると、私はそれも無理はないと察することができる」という構えでいること。

おわりに

ここまで書いてきて、やっぱり意外と難しくないか?と思った。とりあえず、友だちの相談にのる際の目的を、友だちの問題を発見することに定め、相談の中で起こる一切をその目的のためにあることとみなすのが大切なのだと思う。そもそも悩み相談のゴールを問題解決に置くのがまずく、ゴールは問題の特定に置くべきなのだと今この瞬間思った。陽性転移は、友だちの欲求を象徴するものであり、それゆえ問題を特定するための手がかりだ。そして、相談において行うべきなのは同調ではなく、あくまでそれも無理はないという形で相手を承認し、問題の輪郭を捉えるために向き合う(寄り添うのではなく)ことだ。

本書には他にも、被相談者がつい口を挟んでしまうのは、自分が相手の役に立てているかについての不安からであること、相談に乗るときは利き手の反対側、90 度の位置が普通であること、など精神科医ならではのテクが書かれている。また、拒食症の少女が太った母親のことを気にかけたり(p. 24)、陽性転移を患者が自ら精神科医に伝えたり(p. 145)、女性が発作の背後に不倫関係があったことを告白したり(p. 150)するなど、胸を打つエピソードが随所に散りばめられている。